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計算不可能性

本棚の整理を深夜していたら、結構前に買った漫画『預言者ピッピ』を見つけたので、風呂に入りながら読了。

イヴの時間とかサマーウォーズとか、マイノリティーリポートとか、古くはブレードランナーとか現実の世界にロボットが浸透し、社会を支配しようとする物語は語り尽くされてきたテーマではあるけれども、本作品はかなり高いレベルで、その問題を明確に提示している。
簡単にストーリーを要約すると、
 ピッピは人工的に作られた人型の未来予測ロボット。地震を予知するために作り出された彼は、あらゆるデータを基にして、ほぼ100%の確立で地震発生を予知していく。
 また、彼には幼いころから一緒に遊んできたタミオという少年がいて、その子を通して、人間の理性や想像力を学ぶ。しかし、ある日、タミオが事故で死んでしまう。これを境にピッピは人類の幸福のために世界の行く末を計算し始めてしまう・・・。

この作品で、もっとも印象的なのは、科学者の倫理観と世間の倫理観の乖離である。すなわち、人類の生存を保障するために作られたものが、逆に人類の生存を脅かす時、世間は自らの運命をより積極に知ることを選択する。一方、科学者は、運命を知らないことこそが人類の希望と発展を促進すると主張する。自分の余命を知りながら生きることと、知らずに生きることにどれほどの違いがあるのだろうかという問題提起。

 いかに希望ある未来であろうとも、それがすでに決定付けられたものであり、あらゆる過程が結果に結びつくためのプログラムに過ぎないのならば、われわれの為す日常はすべてコンピューター上で計算可能なのである。したがって「あらゆる世界の現象を数であらわす」という、本作の人物が言うセリフはまさに運命論的な考え方をもっとも象徴的に表している。
 
これは結局のところ個人の価値観の違いで、それが悪いとかそうあるべきだとかいう議論は不毛以外の何者でもない。そもそも、計算可能性を考えることそれ自体が計算に基づいているという自己矛盾を抱えているわけであるから、運命論という考え方は私的にはあまり賛成できない。
 ただ、自分の未来や可能性を計りたいという欲求は誰しもあるわけで、それを推し量る”ものさし”をいかに解釈していくかの問題である。
  
 僕は、こういった考え方は基本的には人間には適さない考え方だと思うし、するべきではないと思う。やっぱり努力するから面白いのであって、計算不可能だからこそ可能になったときの達成感が得られるのである。といった月並みな意見で終わりにしておこう。 
 ともかく、この『預言者ピッピ』は1巻しかまだ出てないけど、考えさせられるマンガだった。これからの論点としては、人間の自由意志の問題とかについて考えていこうと思う。


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テーマ : マンガ
ジャンル : アニメ・コミック

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