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入試を改革せよ!

大学入試のカンニング事件なんて今に始まった事じゃないだろ。最高学府である京大や有名大学であるからマスコミが騒いでいるだけだ。
だが、この事件を通して、教育に携わる人たちは考えて欲しい。
なんのために勉強するのか?知識習得の目的は?

日本における近代教育の始まりは明治時代の学制に始まる。殖産興業を謳い、欧米諸国に追いつくために一定水準以上の労働者の生産が必要になった事から、学校教育の義務化、一斉教育(教室で先生が教壇に立って一斉に授業を行うこと)が導入された。
集団生活を通して、ルールを学び、しつけられ、労働者としての基本的な資質を養成される。
そして、良い学校に行くことが良い職業に就くことができるという社会的価値観が形成された。
今日においても、各教育機関は最終的には労働者を輩出することを目的としている。したがって、根本においては、その性格は変化していないと言える。

良い学校に行けば、そのまま良い就職が保証されるのか?否、労働の流動化によりそのような考えはもはや前時代的な錯覚である。錯覚という表現を使ったのは、そんな事=いい学校に行ってもいい就職には結びつかないこと、は分かってはいるが、実質的にはそうは思ってはいないからである。
なぜなら、偏差値以外にはあまりにも学校選択の判断基準がないからである。
だから、有名校に人が集まり、それ以外の件大学は定員不足に陥って行くという二極化が生じる。

では、それを変えるには何をするべきか、入学試験の多様化、個別化を行なうべきであると思う。
確かに、現状の入試制度は習熟度に対して合否を決定するという意味では、努力が報われる平等な制度ではある。
しかし、一方で求められること以上のことを問われないために、学生は勉強しない、必要ない科目はいらないということが起っている。
学問自体が実生活に役立つことは少ない、小中高校と学んできたことが実際の仕事に役立つこともほとんどない。しかし、学問を通じて考えるという力、知ろうとする好奇心は養成することができる。
その一つの通過目標が入試のであるべきであって、単なる暗記競争に終始してしまうことは、そのような能力の養成を妨げてしまう可能性がありうる。
したがって、入試においては、どんな手段を使ってもいいから自分で考え、答えを導いていくような問題を出題するべきである。
正確な答えがないので、大人数が受験した場合の効率性は落ちてしまうが、学生の学力低下や入学後の没落を未然に防ぐことを思えば断然効果のあるのではないか。
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