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認識のメカニズム

武田青嗣「哲学入門」を読了。
 人間の認識の不確定さについて学んだ。

この世の中に真の価値観というものは存在しない。なぜなら、人は目の前にある事物を五感で認識し、自己のうちにある知識に基づいて、それが多数派の認識と一致した場合に、真実を認定するからである。
 
 したがって、真に正しい真実は存在しない。なぜなら、多数派によって形成された価値観が、そもそも人間固有の認識の集まりであって、それぞれが真といえないからである。

 このような考え方は、自己の生き方について非常に大きなブレをもたらす思想である。自分が信じているものが実は間違っているかもしれないからである。
 

 価値観というのは、自分の属するコミュニティーによって常に変化しうるものである。しかし、どの時代にも価値観の対立が存在する。それが専ら旧世代的な価値観との対立であるのは、この、自己の認識がある程度正しいという、日常陥りやすい人間の思い込みが生じさせるものである。
 
 世間は変化する、個人も変化する。したがって、我々に求められるのは、自己の認識を客体化し、あらゆる価値観と柔軟に対応できる術を身に着けることである。
 生きづらい世の中だ、価値観の多様化だと言われてはいるが、自己の認識を改めながら、常に新しい価値観を受容していくことが大切である。
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テーマ : 日記
ジャンル : 日記

計算不可能性

本棚の整理を深夜していたら、結構前に買った漫画『預言者ピッピ』を見つけたので、風呂に入りながら読了。

イヴの時間とかサマーウォーズとか、マイノリティーリポートとか、古くはブレードランナーとか現実の世界にロボットが浸透し、社会を支配しようとする物語は語り尽くされてきたテーマではあるけれども、本作品はかなり高いレベルで、その問題を明確に提示している。
簡単にストーリーを要約すると、
 ピッピは人工的に作られた人型の未来予測ロボット。地震を予知するために作り出された彼は、あらゆるデータを基にして、ほぼ100%の確立で地震発生を予知していく。
 また、彼には幼いころから一緒に遊んできたタミオという少年がいて、その子を通して、人間の理性や想像力を学ぶ。しかし、ある日、タミオが事故で死んでしまう。これを境にピッピは人類の幸福のために世界の行く末を計算し始めてしまう・・・。

この作品で、もっとも印象的なのは、科学者の倫理観と世間の倫理観の乖離である。すなわち、人類の生存を保障するために作られたものが、逆に人類の生存を脅かす時、世間は自らの運命をより積極に知ることを選択する。一方、科学者は、運命を知らないことこそが人類の希望と発展を促進すると主張する。自分の余命を知りながら生きることと、知らずに生きることにどれほどの違いがあるのだろうかという問題提起。

 いかに希望ある未来であろうとも、それがすでに決定付けられたものであり、あらゆる過程が結果に結びつくためのプログラムに過ぎないのならば、われわれの為す日常はすべてコンピューター上で計算可能なのである。したがって「あらゆる世界の現象を数であらわす」という、本作の人物が言うセリフはまさに運命論的な考え方をもっとも象徴的に表している。
 
これは結局のところ個人の価値観の違いで、それが悪いとかそうあるべきだとかいう議論は不毛以外の何者でもない。そもそも、計算可能性を考えることそれ自体が計算に基づいているという自己矛盾を抱えているわけであるから、運命論という考え方は私的にはあまり賛成できない。
 ただ、自分の未来や可能性を計りたいという欲求は誰しもあるわけで、それを推し量る”ものさし”をいかに解釈していくかの問題である。
  
 僕は、こういった考え方は基本的には人間には適さない考え方だと思うし、するべきではないと思う。やっぱり努力するから面白いのであって、計算不可能だからこそ可能になったときの達成感が得られるのである。といった月並みな意見で終わりにしておこう。 
 ともかく、この『預言者ピッピ』は1巻しかまだ出てないけど、考えさせられるマンガだった。これからの論点としては、人間の自由意志の問題とかについて考えていこうと思う。


テーマ : マンガ
ジャンル : アニメ・コミック

現代思想とオスマン帝国

日々、読書です。特に、現代思想の書籍を読みふけっています。
 ポストモダンとは?ネオリベラリズムとは?民主主義とは?現代社会を多角的に読み解きたいという欲求が止まらない。
 
 その所以は、日本の社会を見直してみたい。最近まで、自身の意識は海外に向けられていた(漠然と)。
 しかし、自国のことを知らずしていわんや他国を知りえようか?

そして、なんとなくひとつの結論に至った。
 教育こそが一番重んずべき問題であるのだということ。視聴率100%のメディアがこの世には存在する。「教科書」である。
 
 われわれの基礎を辿るならば、この教科書にたどり着く。そして、国の認める教科書を用いる初等、中等教育こそがわれわれの思想を基礎づけせしめる根本なのではないだろうか?
 
 そんな小難しいことを考えてます。日本を変えるには教育しかない!!!


 後半はオスマン帝国について。
僕は無宗教であるが、唯一興味の耐えない宗教がひとつだけある。イスラームである。
 教義云々はどうでもいい、最も僕を魅了して放さないのは、近代トルコで起こった世界史至上最大領土を誇ったであろうオスマン帝国である。
 名前だけでも興奮してしまうほど好きだ。

そして、講談社現代新書「オスマン帝国」を読了し、その魅力はさらに増した。
 
イスラム国家でありながら、他の宗教との協調を図り、自治を認め、強大な軍事力によって強靭な安全保障も兼ね備えた完璧な帝国。

 もっとも興味深いのは、ヒエラルヒーが存在しながらも、それを無視した官僚体制がひかれていたことである。

 奴隷階層でも官僚になれる。知さえあれば大臣にもなれる。そんな寛大な帝国が数百年も前に存在していたことは驚きだ。

 日本では江戸時代が泰平の世とみなされているが、それは厳しい身分差別と思想の糾弾によって維持されたものであった。
 
 推測であるが、日本のような島国国家においては専ら国家の滅亡を脅かす外的は国の内から生じる(内乱や一揆など)。ゆえに仮想敵は同胞民族であり、いかに民衆をコントロールするかが国家維持の要であった。御家人と主従関係、大名と幕府の関係が代表的である。

 一方でヨーロッパにおいての国家は、仮想的が異宗教であり、常に部外者=自分たちとは異質の何かとの戦いを想定して国家運営をしていかなければならない。

 オスマン帝国(イスラム国家)にとっては、神聖ローマ帝国=キリスト教国家や周辺の遊牧民族が脅威の対象となる。
 ゆえに、国民を外的から守るという大儀の下での政策が可能であり、理不尽な弾圧や重税に対しても国民の反対はそこまでおおきくならなかったのではないか?
 国家の滅亡=民族の滅亡という、危機的な状況に常におかれていた大陸型国家の特徴が本書を読んで考えたことである

テーマ : 日記
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武士道

 さて、今日は最近読んでる本について話したいと思います。
現在読んでいる本は「武士道」(新渡戸稲造著)です。
 
日本人というものを武士の思想を軸にして分析している。まだ半分までしか読めてないんですが、その中で一番印象に残ったものを紹介します。
 
 「名誉」についての章において。

日本人(武士)は何よりもまず自分の恥を重んじる。恥をさらすこと=万死に値するという考え方が武士の中では当然の理だったのです。

 何の法にも規定されていないこの恥の意識が日本人を、日本人たらしめてきたのだと。
引用で、大阪冬の陣において徳川の子が自分が先陣を切って戦いに臨めなかったことに絶望するというエピソードには感銘を受けた。 わずか13歳の少年が、己の人生においての恥を意識していたからです。

今の僕たちに足りないものかもしれないと思いました。
 

テーマ : つぶやき
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